出典:https://www.sankei.com/entertainments/news/190130/ent1901300005-n1.html
管理人のあやです!
2月3日に「吉田羊、プラハ・ウィーンへ…ヨーロッパに嫁いだなでしこ物語」が放送されますね。
今回の放送では、今ブレイク中の女優である吉田羊さんがナビゲーターを務め、チェコのプラハやウィーンを案内します。
また、今から約100年前にヨーロッパの貴族と結婚された、クーデンホーフ光子さんの生涯についても取り上げているようですね。
クーデンホーフ光子さんは歴史上でも有名な方ですが、ヨーロッパの貴族と結婚をされた理由や、どのような人物なのか気になります。
さらにクーデンホーフ光子さんはEUの母とも呼ばれている?
子孫の現在はどんな感じで、お墓の場所はどこにあるの?
今回は、気になるクーデンホーフ光子さんについてリサーチしてみました!^^
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《目次》
①クーデンホーフ光子とは?どんな人物?
②クーデンホーフ光子の子孫の現在は?
③EUの母、クーデンホーフ光子のお墓の場所はどこ?
④クーデンホーフ光子についてのまとめ
クーデンホーフ光子とは?どんな人物?
出典:https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/530.html
クーデンホーフ光子さんは、東京府(現在の東京都)の骨董屋を営む青山家の両親のもとに、三女として産まれました。
1874年ですから、ちょうど明治維新の頃ですね。
クーデンホーフ光子さんの旧姓は、青山みつ。
みつの父親は青山喜八という名前であり、大地主だったそうです。
なんでも、現在の東京の「青山」という地名が、青山家の苗字が由来であるという説があるんです。関係しているかわかりませんが、確かに青山に骨董通りっていう名の通りもありますよね。
とにかく地名になるくらいの地主って相当すごいです!権力者だったのでしょうか?
また、青山みつさんは出生後、18歳まで青山家で暮らしていました。
それがある冬の日の出来事がきっかけで、生活が180度一変。
その出来事とは「青山家の骨董屋前で、落馬した男性がおり、その男性をみつが助けた」という出来事。
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実はみつさんが助けたその男性は、オーストリア代理公使であり、オーストリア(ハンガリー帝国)の貴族の、ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵だったのです。
ハインリッヒさんを助けたことで、みつさんはハインリッヒさんに気に入られ、大使公邸に小間使いとして奉公することになります。
その後1893年に、みつさんはハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギーと結婚。
クーデンホーフ光子となり、長男ハンス光太郎さんと、次男のリヒャルト栄次郎さんの二人の息子を東京で出産します。
3年ほど日本で暮らし、その後はオーストリア(ハンガリー帝国)へ渡っています。
クーデンホーフ光子さんにとってはオーストリアでの暮らしは、ホームシックになったり、結核を患ったり、第一次世界大戦の影響で差別されたりと、波乱のある激動の生活だったようです。
夫の急死には一番ショックを受けたようですが、7人の子供に恵まれ、特に次女のオルガには最期まで世話をしてもらい、助けられながら生涯を生きたんだそう。
日本人女性で初めて海外の方と結婚をされた人物として、後世に爪痕を残しています。
クーデンホーフ光子の子孫の現在は?
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