三淵嘉子は女性初の弁護士で裁判官?wiki経歴が凄い!大学や旦那も調査

 

出典:http://www4.nhk.or.jp/chieizu/

 

どうもこんにちは!あやです^^

2019年3月26日に放送の

先人たちの底力 知恵泉では、

初めて女性で弁護士資格を取得した

法律家・三淵嘉子さんについて特集されます。

 

大正と昭和を生き抜いた女性弁護士

三淵嘉子さんとは一体どのような

女性だったのでしょうか?

 

今回は、弁護士・三淵嘉子さんについて

凄いと言われるwiki経歴や、大学

弁護士や裁判所長になった過程、

結婚や旦那について調べてみましたよ^^

 

早速、一緒に見ていきましょう!

 

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①三淵嘉子のwiki経歴は?出身大学はどこなの?

 

出典:https://www.meiji.ac.jp/koho/diversity/copy_of_about.html

 

あやスタ!では以前も

クーデンホーフ光子さんという、

あらゆる逆境を乗り越えた

力強い日本人女性について

ご紹介しました。

クーデンホーフ光子の子孫の現在は?EUの母のお墓の場所はどこ?【吉田羊プラハ】

 

今回リサーチする三淵嘉子さんも、

男性社会だった大正・昭和の逆境を

生き抜いた、とても芯のある女性なのです。

 

はじめに、三淵さんのwiki風プロフィールや

経歴を見てみましょう。

 

プロフィール 

*名前:三淵嘉子(みぶちよしこ)

*旧姓:武藤嘉子

*生年月日:1914年1月30日(大正3年)

*没年齢:70歳

*出身:シンガポール

*血液型:不明

*身長:不明

*出身大学:明治大学

*職業:弁護士、裁判官

 

三淵嘉子さん(旧姓・武藤)は、

台湾銀行に務める父親・武藤と

主婦の母親の間に産まれました。

 

なんと出生の地は、

日本から遠く離れた南国、シンガポール!

 

三淵さんの父親は、仕事の都合で

転勤が多かったのだそうで、

三淵さんが生まれる時は、丁度

シンガポール勤務だったのだとか。

 

時代が時代ですから、当時海外での出産を

されただなんて、お母様は凄すぎますね。

 

嘉子さん誕生後、武藤一家は数年間

シンガポールに移住していましたが、

嘉子さんが大学に入学する前までには

日本に戻ってきていました。

(具体的な時期は不明です)

 

出典:http://www.hokutoshobo.jp/book/genre/history/760/

 

ちなみに三淵さんが大学に進学する時期に

国で定められていた弁護士法が改正される

ことになります。

 

これまでずっと男性だけが

高等文官試験司法科試験を

受けられたのですが、

改正弁護士法により、

 

初めて女性弁護士の誕生を

検討する審議会が開かれました。

 

そこで女性が弁護士の資格を

取得できるような法律に変わることを

予測していた明治大学は、1929年に

法律が学べる女子専門部を創設

 

女性も法学部への進学が認められ

明治大学は、女性が法律を学べる

日本初の唯一の大学となりました。

 

そこに入学したのが三淵嘉子さん

中田正子さん久米愛さんの女性3人。

 

三淵さんは明治大学で、

あらゆる法律を必死に学びました。

 

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②三淵嘉子は女性初の弁護士で裁判所長!?

 

三淵嘉子さんは、明治大学での必修科目を

修了すると、高等文官試験司法科試験を

受けることになりました。

 

努力が実った1938年、三淵さんは

見事に高等文官試験司法科試験に合格し

晴れて女性初の弁護士となりました!

 

中田正子さん久米愛さんの二人も合格。

 

今ではとても有名な女性弁護士

レジェンド3人組は、当時大々的に

メディアに報道されたのでした。

 

新聞の記事にたくさん載り、

一躍時の人となったそうですよ。

 

出典:http://www.lib.meiji.ac.jp/about/exhibition/gallery/38/38_pdf/pamph.pdf#search=%27三淵嘉子%27

 

1940年には、弁護士を開業。

数年間弁護士としての仕事を全うします。

 

戦後の1947年には、裁判官採用願いを

司法省に提出。

 

ちなみに裁判官も当時男性しか

認められていなかったのだそうです。

 

司法官試補採用告示にも

「…但し日本帝国男子に限る」と記載があり、

三淵さんは、このように思ったようです。

 

「同 じ司法科試験に合格しながらなぜ女性が除外されるのかという怒りが猛然と湧き上がってきた。私 にとっては、その時の怒りが男女差別に対する怒りの開眼であったろう。」

引用元:http://www.j-wba.com/images2/activities_1010_soda.pdf#search=%27三淵嘉子%27

 

三淵さんはとても悔しい思いを

されたのだと思います。

 

結局この時は、裁判官には採用されず

司法省民事部等で勤務することになりました。

 

ただ、その2年後、女性たちの働きかけもあり

1949年には、法が覆され、石渡満子さんと共に、

初の女性裁判官に就任!!

 

1952年には、名古屋地方裁判所で

初の女性判事となりました。

 

女性の活躍を認めてもらいたい一心に

世に訴えかけていた三淵さんは本当に

強い女性だと思います。

 

その後は新潟家庭裁判所で

初の女性家庭裁判所長を務め、

更にその後も浦和家裁や横浜家裁で

所長を務めあげました。

 

1979年には裁判官を退官

65歳にして再び弁護士としての

活動を始めます。

 

数年間弁護士としての仕事を全うし、

1984年、三淵嘉子さん70歳の時に

他界されました。

 

弁護士から裁判官まで、女性として

成し遂げた仕事の数は多岐に渡りました。

 

女性弁護士・女性裁判官の

パイオニアでもある三淵さんは

今現在も法学部の授業で話題に出たりするなど

後世に影響を与えています。

 

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③三淵嘉子の結婚や旦那は?

 

出典:http://www4.nhk.or.jp/chieizu/

 

三淵嘉子さんは、弁護士や裁判官として

バリバリ働いてきたキャリアウーマンですが

結婚して旦那さんや子供がいたのでしょうか?

 

調べてみたところ、三淵さんは生涯で

2度の結婚をされたことがわかりました!

 

最初の旦那さんは和田芳夫さん。

 

職業など何をされていた方なのかは

わかっておりませんが

第二次世界大戦が終戦した数ヶ月後に

戦病死されています。

 

三淵さんにとっての最愛の旦那さんを亡くし、

ショックだったことでしょう。

 

三淵さんは10年ほど一人で過ごしますが、

その後1956年に、2回目の結婚を果たします。

 

お相手は、裁判官の三淵乾太郎さん。

 

この三淵乾太郎さんは、初代最高裁長官だった

三淵忠彦さんの息子です。

 

二人の間に子供がいたのかどうかは

わかっておりませんが、同じ裁判官同士

良き理解者として生涯共に過ごしたのだと

思います。

 

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④三淵嘉子についてのまとめ

 

力強く男性優位の法曹界を生き抜いた

三淵さんの底力はとてつもないものでしたね。

 

世の中を変えてしまうくらい

芯の強い女性はいつの時代になっても

憧れられるでしょう。

 

最後に三淵嘉子さんについてのまとめです。

 

2019年3月26日に放送の

先人たちの底力 知恵泉では、

日本人で初めて女性弁護士の資格を取得した

三淵嘉子についての特集がされる。

 

三淵嘉子の出生の地は、シンガポール。

 

三淵嘉子出身大学は、明治大学。

 

三淵嘉子のwiki経歴がとにかく凄い。

女性初の弁護士や裁判官として

パイオニアになった。

 

2度結婚していたが、

2番目の旦那との間に

子供がいるかどうかはわからない。

 

1984年、三淵嘉子70歳の時に他界。

 

 

今後のご活躍を期待しています!

最後までお読み頂きありがとうございました^^

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