出典:https://matome.naver.jp/odai/2142873691961226401
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今回放送される「先人たちの底力 知恵泉」では建築家の丹下健三さんについての特集がされることで話題ですね。
丹下健三さんといえば、数々の魅力溢れる建造物を世に残してきた建築家の逸材です。
今回の「先人たちの底力」は「なぜ丹下さんが次々と巨大プロジェクトを成功させることができたのか」紐解いていく内容になっています。
確かに、丹下さんは有名どころの建築物ばかり設計担当しており、どれも成功されていたので不思議なくらいですね。
また、丹下さんには息子さんがいるようですが、息子さんは現在何をされているのでしょうか?
お孫さんはいらっしゃるの?
さらに自宅や教会や世に残した作品も気になります!
とても気になったので、
今回は丹下健三さんについてリサーチしてみることにしました!
一緒に見ていきましょう!
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①丹下健三とは?経歴やwikiプロフィールは?
出典:https://www.well-reform.com/reform-blog/staff/3433/
丹下健三さんは、1913年大阪府堺市に生まれました。
大正2年に生まれますが、すぐに住友銀行に勤めていた父の転勤があったため、中国に渡っています。
数年後には上海のイギリス租界に移住。
小学校は上海の日本尋常小学校に通学されたと聞いています。
数年間の中国での生活が終わり、1920年(大正9年)に日本に帰国。
帰国後丹下さんは父親の出身地であった愛媛県今治市で暮らしていたそうです。
1930年には広島県の、旧制広島高校(現在の広島大学)に進学。
丹下健三さんは、この頃学校の図書館で見つけた外国雑誌のル・コルビュジエの記事に感銘を受け建築家を目指すようになります。
高校卒業後の1933年に丹下さんは、東京帝国大学建築科の受験に2度失敗。
2年間何もせず、バーなどに出没していたんだとか。
2年間何もしなかったことに関しては、このように述べています。
「なぜ二年間にもなったかといえば、多感な青春時代、情熱をもって取り組む対象がどうしても文学だとか芸術だとかに偏してしまったから、ということにしておきたい」引用元:(丹下健三『一本の鉛筆から』p.25)
2年後の1935年に受験に再チャレンジし、東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科に入学。
ここでようやく、本格的に建築に関して学び始めます。
そして1938年(昭和13年)に、東京帝国大学工学部建築科において辰野賞を受賞。
学生当時から、丹下健三さんは周囲が驚くような図面を書かれていたようです。
東京帝国大学工学部建築科卒業後は、前川國男建築事務所に入所。
ここで初めて作品を担当。
担当した作品は、岸記念体育会館(初代)。
丹下さんの初めての作品ですから、実物を見てみたかったのですが、残念ながら現在その建造物は存在していないようです。
その後、丹下さんは1942年(昭和17年)に「大東亜建設記念営造計画」を作成。
このコンペにおいて、一躍有名となります。
丹下さんはこの時、他の建築家とは違い、とても地味なコンペをしたそうなんです。
派手で早大的な設計をされる建築家が大勢いる中、丹下さんはそれを逆手に取ったのでしょう。一人注目を浴びました。
ちなみにこの時の丹下さんのコンペは、後世まで人々の記憶に留めさせています。
その後丹下健三さんは2005年に亡くなられるまでの間に、「広島・平和記念公園」や「国立代々木競技場」などを始め多くの建築に携わり、世界的にも有名な建築家となりました。
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②丹下健三の息子や孫の現在は?
出典:https://www.nikkei.com/article/DGXNZO63701000W3A201C1NNP000/
丹下健三さんには、息子さんがいるようですが、息子さんは建築の道に進まれたのでしょうか?
ちなみに息子さんは、丹下 憲孝さんというお名前。
調べてみると、息子の憲孝さんも、健三さんと同じく建築家をされていることがわかりました!
父親の健三さんの息子さんだけあり、憲孝さんも有名な建築家。
1973年から1977年まで、スイスで建築を学び、さらにはハーバード大学を卒業されています。
とても優秀な息子さんのようです。
以下の建築物が、息子の憲孝さんの作品です。
モード学園コクーンタワー
プリンスホテルザ・
プリンス パークタワー東京
出典:https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/67930/67930.html
FCGビル(フジテレビ本社)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/FCGビル
作品の一部を紹介しましたが、どの作品も有名な作品で、一度は目にしたことのあるものばかりです。
親子代々、素敵だなと思いました。
ちなみに丹下健三さんのお孫さんについての情報もリサーチしてみました!
丹下さんには、現在女の子のお孫さんがいらっしゃるようですよ。
お父様もお祖父様も優秀ですから、きっとお孫さんも優秀なのでしょう♪^^
メディアに出てきてくれたら良いですね!
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③丹下健三の自宅や教会の場所はどこ?
丹下健三さんの自宅はきっと豪邸でしょう!
ということで、今回丹下さんの自宅も調査!
調べてみると、丹下さんの自宅は、昨年に六本木ヒルズの森美術館で開催されていた「建築の日本展」でも紹介されるくらい、有名なご自宅でした。
自邸は1953年に東京の成城に建てられ、300坪の敷地面積があります。
塀を設けず築山によって周囲と分離する構造になっていて、当時の家々の作りからすると珍しいタイプの建築方法だったようです。
出典:https://www.mori.art.museum/jp/news/2018/08/1456/
出典:https://www.mori.art.museum/jp/news/2018/08/1456/
上の画像は、丹下邸を再現したものになりますが、とても素敵な作りですよね。
風が通るような作りですし、住みごごちも良さそうです。
* * * * * * * * *
ちなみに丹下健三さんが設計した教会も話題をよんでいます。
その教会は、東京都文京区の椿山荘の前にある教会で、名前が「カトリック東京大司教区カテドラル関口教会聖マリア大聖堂」。
1964年に竣工され、今でも多くの建築家たちが設計の参考とするために訪れるんだそうです。
トリップアドバイザーによると、文京区の観光スポット第8位にもなっています。
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④丹下健三の作品は?
では丹下健三さんの作品の一部を画像でご紹介します!
広島平和会館原爆記念陳列館
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/丹下健三
広島平和記念公園
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/丹下健三
代々木第一体育館
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/丹下健三
東京カテドラル聖マリア大聖堂
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/丹下健三
赤坂プリンスホテル新館
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/丹下健三
東京都庁舎第一本庁舎
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/丹下健三
その作品も品がありますし、とてもスタイリッシュですね。
全てこだわり抜いており、丹下さんが戦後の日本の建築を牽引してきた第一人者だったのだなと、改めて感じました。
丹下さんが偉大な建築家であることは、今後も語り継がれることでしょう。
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⑤丹下健三についてのまとめ
それでは最後に丹下健三さんについてのまとめです。
*丹下健三は、1913年大阪府堺市に生まれた。
*出身高校は旧制広島高校(現在の広島大学)
*出身大学は東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科。
*息子は、丹下 憲孝。父親と同じく建築家。
*孫は女の子の孫がいる。
*自宅は東京都の成城にある。教会も有名で場所は文京区にある。
*どの作品も有名どころばかり。丹下健三は偉大な人物である。
今後のご活躍を期待しています!
最後までお読み頂きありがとうございました^^